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オヤマダアツシさんとの思い出

音楽ライター・オヤマダアツシさん(山尾敦史さん)の突然の訃報は信じがたいものでした。

どうしてこんなに唐突に逝ってしまわなければならないのか、数日経った今もよく飲み込めません。60歳になられていたことも言われなければ気づかないような、いつもお若い印象でした。ずっとこのままお元気に歳を重ねていかれて、いつかまたお目にかかれる機会があると思っていました。

 

著名な彼の文章やインタビューはクラシック音楽界の多くの雑誌やCD、インターネット上に掲載されてきたので、そっち方面にはちょっと疎いという方もきっとどこかでその名を目にしていると思います。私にとってのオヤマダさんは、ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭・公式レポートブログ隊の隊長(私は最初期の2年間に在隊)、そして一度きりではありましたが、2006年「目白バ・ロック音楽祭」公式レポートブログのボスでありました。

 

振り返れば、何の経験もコネもなかった学生の自分がこんな方と一緒にお仕事をさせていただけたことは、希少な幸運だったとしか言いようがありません。ラ・フォル・ジュルネ公式ブログ隊については、当時のブログ友達で芸大同期だったチェリストの西村絵里子さんからオヤマダ隊長を紹介され、なにやらすごく面白そうな組織にピックアップしていただいたようだ、と予感したのが始まりでした。そして音楽ジャーナリストの飯尾洋一さん、音楽之友社のMさんの計5人体制で東京国際フォーラムに出入りし、立ち上がったばかりの音楽祭公式ブログを息つく暇もなく更新しながら、かつてない面白さを実感するに至ります。

また、目白バ・ロック音楽祭ではオヤマダさんとたった2人、約1ヶ月間に渡って繰り広げられた様々な古楽中心のコンサートを取材すべく、目白の街を駆け巡ったのです。

 

カメラとメモ帳を手に音楽祭を舞台裏まで取材し、即時即日ブログにアップする。場合によってはコンサート直後に楽屋へ直行し、アーティストの方々にアポなし突撃インタビューする。スピードと緊張感の溢れる現場でこんなことを可能にさせてくれたのは、オヤマダさんの存在そのものだったと感じます。相当好き勝手に取材させていただいた記憶があり、不注意を叱られたこともありましたが、いつも少し指示するだけで「あとは任せた、いってらっしゃい!」という感じで自由にさせてくださり、知り合って間もない私を信頼してくださっていることが本当にありがたかったです。そして、その大らかさの核の部分に存在する仕事に対する厳しさ。物腰の柔らかさと笑顔の中からも確固たるものを感じさせ、畏怖の念を抱かせる方でもありました。

 

ラ・フォル・ジュルネでは5台のノートパソコンが向き合って並んだ会議室で、当時ちょうど流行り出したカカオ70パーセントとか85パーセントの濃厚チョコレートをみんなで分けあい、「草のようだ」「エネルギー補給」などと言いながら一緒にほおばっていたことを思い出します。本当に和気あいあいとした現場で、それ以降もメンバー全員で集ったり、個人的にお会いしたり、演奏会へお越しいただいたりと、当時のご縁が途切れないことを嬉しく思っていただけに、オヤマダさんとこの先も永遠にお話しできないという現実に、目を背けたい思いです。

 

ラ・フォル・ジュルネの公式レポートブログは残念ながらアーカイブが残っていないのですが、目白バ・ロック音楽祭 公式レポートブログは幸いにも2006年当時のまま残されています(こちらは翌年度からレポート自体が実施されなくなってしまいましたが…)。これらのブログを発案され、立ち上げられたオヤマダさん(当時は山尾敦史名義)の思いを改めて読み、胸が熱くなります。

 

「ものを書く」という作業は、こうしてみると私のライフワークの一つであり、その道のエキスパートであるオヤマダさんから受けた影響は計り知れないものがあります。「背中を追う」とはこういうことかとそのお仕事ぶりとお人柄に直に触れながら、多くのことを教えていただきました。感謝してもしきれません。 

 

オヤマダさん、本当にありがとうございました。

夢中で過ごした日々とご恩、忘れません。

天国で、大好きなプリンを思う存分召し上がってください。

 

萬谷衣里