音楽評論家・網干毅先生が8月27日にお亡くなりなっていたことを、今日知りました。
まさか、まだお若い先生が旅立って行かれるなんて、誰も考えていなかったに違いありません。
網干先生に直接お会いし、お話しできたのはこれまでにただ一回。
2006年8月、先生が構成・監修を手掛けられていた大阪アーティスト協会の「サマーミュージックフェスティバル大阪」に出演させていただいたのが最初で最後です。
しかし先生は、その後2009年にも私の演奏を聴いてくださっていました。
「サマーミュージックフェスティバル大阪」と同じ会場である大阪・いずみホールでのリサイタルにお越し下さり、素晴らしい批評を書いてくださったのです。
演奏会チラシや当サイトのトップページにも掲載している「音楽の友」誌からの引用が、先生によるお言葉です。
転載させていただいても良いかどうかお尋ねしたときにも、快くオーケーしてくださったことを思い出します。
当時まだ学生だった私にとって、先生からのお言葉は本当に励みになりました。
独特の詩的な表現に、自分の音楽が昇華されていくような気持ちにもなり、とてもありがたかったです。
以下、改めてご紹介させていただきます。
網干毅氏による批評 〜「音楽の友」2009年4月号より
密度の濃い響きのなかの瑞々しい感性と生命力。 それが萬谷衣里の魅力。それに知的な構成力が加わってきたよう。モーツァルトK310、シューベルトD784のソナタ、リストによるシューベルトの「魔王」のパラフレーズが前半。後半はブラームスの作品119、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」、そしてバルトークのソナタ。このプログラムには、 萬谷の心境、 特にヨーロッパ体験が反映されているのだろう。
モーツァルトでは、 第1楽章の再現部あたりから諦観が聴こえはじめ、 第3楽章も決して情念だけでつき進まない。 その流れはシューベルトに引き継がれる。 萬谷のシューベルトは苦悩も喜びも薄らと紗がかかったよう。でも紗の向こうには多彩な音。歌に満ちていたのはブラームス。人生への執着も感じられる音楽だが、 萬谷はそんな議論には賢明にして巻き込まれない。最後のバルトークはこのピアニストの天賦の資質が横溢した演奏。聴き手を広がりのある響きで、そう、包み込む。(2009年2月20日 大阪・いずみホール)
網干先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
萬谷衣里